ドミニカ共和国
私が青年海外協力隊員の
村落開発普及員として派遣されたのは、
中米にある、イスパニョーラ島の、
ハイチと二分して東側にある
『ドミニカ共和国🇩🇴』。
私は勝手にアフリカのどこかに派遣されると思っていたので、派遣国が
『ドミニカ共和国』
と合格通知の記載を見て目が点だった👀
直ぐにそれはワクワク、
楽しみに変わり、
どんな出会いと経験、景色が待っているのか、本当に楽しみだった。
3カ月の国内訓練を終え、
現地で1か月の現地訓練を首都で受ける。
現地でホームステイをしながら、学校へ通う。
その後いよいよ現地へ派遣✨
私の任地の村は、首都から車で1時間程度。
乗り合いバスや、後部がトラックの様に荷台になっている車の荷台にすごい人数、すごい荷物が乗せられガタガタ道を行く。
初めの頃は慣れずに、車から投げ出されそうで怖かったけど、ただの荷台に大人も子どもも荷物も鶏も一緒くたに20人くらいは普通に乗り揺られていく、それにもすぐに慣れた。
牛の群れが横切れば車は停車。
景色はとても長閑だ。
首都からとても近いのに、
ドミニカ共和国全隊員の中で1番の僻地だった。
家は村の中心にあり、
日本人が現地プロジェクトで普及した胡椒の農場の中にあった。
そこで農場の技術者の家族と住んだ。
水栓はある。
電気も家には設置されている。
でも基本的に
村に電気が来ない。
水は水道から出ない。
近所の水場に汲みにいく。
そこになければもっと奥に汲みに行く。
ドミニカ共和国は熱帯で暑いので、
毎日の活動でドロドロの体、
汗かいた体は夜の水浴びできれいにする。
毎日の水浴びはバケツ半分の水、
頭を洗うのは週一回、バケツ1杯の水を使った。頭を洗える日はとても贅沢な、
「わーい♫」って気分だった。
最初の3か月は徹底的に蚊に刺された。現地人でない私の血の味の違いを蚊は知っている🦟✨
どうやっても刺されて、
あちこちすごい腫れて熱も出した。
しかし、3か月経つと、
現地の人達と同化するのかピタリと刺されなくなった👀♫
それでも赴任中私は、デング熱にもなったし、しょっちゅうお腹に寄生虫を飼いパンパンにお腹が膨らんだ感じになり下痢もした。治ったか病院に検査へ行くと、その検査で今度はアメーバ赤痢が見つかって、不幸中の幸い💕とかもよくあった。
私には女性をターゲットにした活動を求められていて、
現地に入り、ニーズを調査し、私は前任者などが残した家庭菜園やかまど作りの活動を引き継いだ。
他にも、女性達へ野菜を生かした料理教室、井戸水をそのまま飲むのが習慣になっており、よく1つの井戸から病気が出ると広がったりしていたので、お水沸かして飲むことへの働きかけ、幼稚園や小学校へ行き、子ども達への歯磨きについてや、手洗いの方法のお話し会、パネルシアターを使った食べ物の消化の仕組み、ディズニー体操をやろう♫
とか色々ゲリラ的にやって行った😊
いつも先生達は本当に快く受け入れてくれ、文化の違う日本人がやることに興味を持ち、喜んでくれた。
(写真は村の小学校。ここは校舎がある。青空教室の学校もあった。)
協力隊員の任期は2年。
「2年もある。」
と思う人もいるし、
「2年しかない。」
と思う人もいる。
私は後者の方だった。
常に「2年しかない。」
2年で何ができるかな?
ってよく考えた。
村を見て、「やりたい✨」と思えたことは
どんどんやった。
知識が足りなければ自転車操業的に知識を入れて、
翌日には現地で行動した。
自分1人で村を周り、ニーズを探り、良さそうなものを提案してみて興味持たれたら、準備や勉強を深めて現地で実際にやってみる。
1人でも、もし興味を持って来てくれたならやるんだ✨
そこからきっと広がるから♫
ってよく思ってやっていた。
途中から、
これは効率が悪い
2年で村にもっともっとステキに風が流れると良いなぁ〜
っと思うようになった🤗
(写真は女性宅の家庭菜園)
毎日活動でドロドロになった洗濯物、村の人達と同じように、村の女性達と川で洗濯したこともある(・・;)
とても無理だ。。。
一日掛かり。
すごい体力を使う。
子ども達も、村の数カ所の井戸や川から家への水汲みをよく手伝っていた。
水汲み、薪集め、沢山の子どもの子育て、、
本当によく働く女性達。
感心しきりな私。
私は、
バックパックいっぱいに
その週の洗濯物を持って、よく週末首都へ上がる♫
で洗濯物問題?をスッキリ解決 🤗
首都の隊員連絡所の洗濯機に洗濯物はお世話になった(・・;)
そして私は色々な隊員とそこで交流を取り、村のニーズと合いそうな活動をしている隊員を村に招待して講習してもらったり、一緒に活動をするということを始めた。
1人で全部やるより、
効率も良く、お互いに刺激になり本当に楽しかった。
時には4人や6人、
それ以上のグループになってドミニカ各地の小学校を回って活動をしたり、現地のお祭りの出し物を頼まれてやったり、
エイズやワクチンについての大きな講習会を中学生高校生や、村の集会場でしたり、
村の中学校同士のバレーボール大会をしたり、
映画を観たことない人達が村にいるのを聞いて、映画会をしよう❣️っと思って映画会をしたりした。
(写真は映画会の映画前の余興で浴衣姿で空手等をみんなと披露した時のもの♫)
2年目からは本当に益々私は真剣だった。
私1人でやらないこと
現地の人を必ず巻き込み
みんなと益々力を合わせること
私がこの国から離れても
活動が残る様に
活動のリーダーは現地の人に任せて
私は裏でサポートをすること。
アフリカの方の隊員にはいるけど
ドミニカ共和国とか中米の隊員には当時
隊員と共に働く現地のカウンターパートがいなかったけれど、
JICAはもううちの村に隊員は入れないと言っていたけれど、
日本人の胡椒のプロジェクトまで入っていたこの村に、日本人ボランティアがまた来ると信じて、
ホームステイ先で一緒に住んでいた家族の
マリに私の活動を伝えた。
「マリ、また必ず来るよ、日本人のボランティア。
そしたら、私が2年で終わらないけど、
来た人もやりたいと思えて、もし続けたら村の人も喜ぶ私のしている活動について伝えてあげてくれる?マリは私の信頼するカウンターパートだね♫」
私はマリによく言っていたし、
マリもすごく前向きに捉えて話を聞いてくれた。
マリはとても明るくて優しくて賢くて頼もしい、チャーミングな人だった。
私をいつも本当に最高にポジティブにサポートしてくれた。
活動は楽しみながらみんなでやり、
絶対それをやることが出来る✨
と思えている自分、
その気持ちがあればなんでも出来る💕
って思っていた。
映画会はお金を払って貰う。
そのお金で
電気のない学校で
夜ロウソクで勉強する
高校生用の発電機を買う❗️
それを目標に、
現地の高校生と企画運営、
その高校生達が主体となり、
日本人ボランティア仲間も当日サポートに駆けつけてくれて、
映画会は現地で2回開催した。
(写真は夕方よく活動の後に遊び、色々な活動も共にした高校生達)
映画会は村人が100人以上集まり、大盛況で、お年寄りから子どもまで本当に喜ばれた。
現地では、違う職種の隊員は勿論、現地の専門家や、アメリカのピースコーと組んで活動したりもできた。
みんなの気持ちは同じ♫
ドミニカ大好きだよ❤️
国や職種、文化、色々違っても、
心が同じなら同じ方向を見て
楽しく進んでいけた✨
(写真は現地のゴミ問題について、各地小学校を回ってチームで講演をした時のもの)
色々な国の人達と、
それぞれの母国語でない言葉で伝え合うという経験も、私には新鮮で
本当に面白かった。
(写真は村のあちこちで教えていたマクラメ教室の風景♫)
ドミニカ共和国は一年中暑い。
2年目には暑いなりに、
季節があり、すごく暑い季節〜暑い季節があることなどもわかってくる。
その一見分かりにくい感覚に植物はきちんと反応して実をつける。
太陽の日差しが強い。
森の緑が濃い。
その中でたくましく暮らす人々の笑顔が
いつも眩しかった。
(写真はマクラメ。こういうのや腕輪を作り、タグ🏷を付けて売っていた。)
村のあちこちに活動へ行き、
道中スコールの雲によく追いかけられた。
雲が来る❗️逃げろ❗️
っとバイクタクシーで運転手と逃げた😊
スコールが来れば小さな子ども達は親に素っ裸にされて、スコールをシャワー代わりに水浴びをする。
大きなタライから小さなコップまで、
大急ぎで家中の器を全部全部並べて水を溜める。
久しぶりに村の夜に電気が来れば、
おしゃぶりした赤ちゃんからお年寄りまで、
『電気が来た❣️』っと大喜びで踊り出す。
基本的には電気のない真っ暗な夜の日々。
夜道を歩けば、自分の足元さえも真っ暗で見えない。。。
私はいつも同居してた小学生のエンジェルや村の友達に手を引かれ、
「ひとみ足元段差」
「ひとみ、前から人が来るよ」
「今の挨拶はペドロだよ」
ってみんなが教えてくれた。
現地のみんなは暗闇でもよく見えていて、
「❗️HOLA HITOMI❗️」
とあちこちから声をかけて来てくれる。
誰だかさっぱり顔がわからない。
本当に星の輝きが力強く、
天の川がとってもきれいだった。
暗い部屋の、蚊帳をしたベッドの蚊帳の外には、窓の隙間から何匹ものホタルが入り込み、美しく眩しいくらいに光ってふわふわ飛び交っている。
(安定感なく灰が舞い上がる不衛生な三石かまどから土で作った改良かまど普及へ)
なんて言う美しい世界。
自然と共に、あるがままに。
「当たり前」なんてない。
どれだけ日常に素晴らしいものが溢れていることか。
自然の美しさ、力強さ、賢さ、
水があること、
電気があること、
どれだけ素晴らしい物
素晴らしいことに
溢れていたことか。
大切なことに日々気が付き、
自分の内側からなんとも言えない感情が日々湧いていた。
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