体の持つ可能性、自分の可能性✨
障害者認定手続きまで提案されていた
私の膝は本当に良くなった。
手術していない右脚よりは
違和感が未だにあるものの、
運動もできる✨
毎日のリハビリ生活の中で
私は色々な景色を見た。
沢山の人達に出会った。
働き盛りの45歳の頃の健康診断の血管造影剤の注入ミスで一時寝たきりになり、
私が入院していた頃は入院10年以上の人、
股関節の骨の手術ミスで入院2年目の人、
他にも沢山の方々と知り合った。
みなさん、
明るかった😊✨
1番印象的だったのは、
ある日リハビリ室に来るようになった、
多分脳に急に障害を負って
寝たきりのようになった人のこと。
勿論歩けない、
喋れない
手足動かせない
目の焦点も合わない
口は半開きでヨダレも垂れる
自動でゆっくり回転したり、
台を斜めに出来て体に負荷がかけられたり
三半規管を刺激するようなことをする
丸い機械に
よく手足をベルトで固定されて
乗せられていた。
その機械をすることと、
よくその人は
マッサージで大切に
体を刺激されていた。
「何をしているんだろう?
あんなに何も
今はわかることができない感じの
脳に障害負ったばかりで
ただ寝ていたい感じの人に」
そんな風に思って
毎日リハビリ室で会うようになったその人を見ていた。
数週間後、その人は
目の焦点が合うようになっていた。
更に日を追うと、
笑えるようになっていた。
少しずつ、体を動かせるようになり、
車椅子に座れるようになっていった。
すごく驚いた。
すごく感動した✨
人間の体って、、、
何❣️
すごい‼️✨
あんな感じの人が、
こんなんなった‼️✨
すごい‼️✨
そんな風に心から思えた😊
私自身も、
「念ずれば花開く🌸✨」
を信じていたら
膝は曲がって行けたように、
人間の体は可能性がいっぱいで
神秘的で魅力的✨
私はそんな思いで虜になって、
内側がゴボゴボゴボゴボ沸騰して来た‼️
退院する頃には、
私にはやりたくて仕方がないことができていた。
「私は、理学療法士になる❣️」
絶対なる❣️
体の可能性、豊かさ、神秘、
沢山の人達と分かち合いたい✨
こうして私は26歳の12月、
退院直後から理学療法士の学校に入るべく、
1月の一期募集は諦め、
3月の二期募集での合格を目指し、
受験勉強を始めた✨
学生時代だって
「女が勉強するなんて‼️」
「女が高校行くなんて‼️」
と真剣に言う面白い父親を持っていた私は
お勉強は嫌いじゃないけど
全然熱心にはして来ていない(・・;)
でも、
理学療法士になりたい💕
私はなる🤗✨
そう思って勉強すると
勉強が楽しい✨
えー‼️
勉強ってこんなに楽しい♫
こんなん知れて本当ラッキー💕
「なりたい」
「やりたい」
と思えて物事をやることの素晴らしさ✨
なんて爆発的なエネルギー✨
我ながら素晴らしい💕
こうして私はリハビリに変わって、
今度は勉強を頑張った。
中高6年間分の勉強を
たった2か月で総復習♫
結果は、、、
一次試験筆記合格‼️
二次面接で落ちた💦笑笑
よーし、まだまだ勉強して、
もっとレベル上の、
もっと学費安い学校を
一年後受験するぞ〜🤗❣️✨
そう思ってワクワクした。
一年後、
私は入りたい学校に
見事合格した✨
と、同時に、
海外ボランティア行きたいと言う
子どもの頃からの夢も、
親が元気な内に叶えたい✨
との思いが受験生中湧いて、
私はボランティアの試験も同時に受けていた。
ボランティアの試験も合格✨
ずっと頑張った理学療法士の学校の試験も合格✨
さぁ、どっち‼️
結局私はどっちへ行くんだ❓
悩んで悩んで、
そして決めた。
私はボランティアに行く‼️
受験はまたいつでもできる。
おばあちゃんになってでも、
やりたければ
いつだってできる✨
私は父が元気な内に
ボランティアに行く❣️
こうして私は
中米のドミニカ共和国という国へ
村落開発普及員として
2年間のボランティアへ行った。
そこで私は
一生忘れられない思い出と
沢山のステキな仲間達に出会った。
私は、
ボランティアに行くと決めた自分に
改めて感謝する🤗♫
私は、私の決断を応援してくれた人達に
改めて心から感謝する♫
ありがとうございました✨
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