父のこと 看取り その3
父が亡くなった。
一緒にずっと仕事をして、
私の3人の子ども達が生まれてから
当たり前にいつもいて、
誕生日、お正月、ひなまつり、運動会、発表会、クリスマス、、、
家は別々だったけれど、
年間行事を子ども達といつも一緒に過ごした。
亡くなると
その席も心も
本当にポッカリだった。
行事の度に
いつもより豪華なご飯を作った。
料理は好きだった💕
父が病気になると、
素材にもこだわって、
丁寧に丁寧にご飯を作った。
食べて元気になって欲しい。
そして、1食1食を大切にしていきたい♫
そう思っていたから、
例えば、
父が生玉子を食べたいと言えば、
できる限りの良い玉子を探した。
でも、、、
良い玉子なんて拘らなくて良いんだ。
どの玉子だってなんだって、
それを心から感謝して、
大切な人と、
楽しく大事に食べたならそれが一番
最高に良いんだよなぁ〜♫
玉子を探し歩くより、
ただもっと一緒にいたら良かったなぁ〜。
って思えたのは、
父が亡くなったあとだったけど。
とりあえず、
そんな訳で?
私は父が亡くなったあと、
料理をするのがすごく嫌になった。
義務的に、母親として
みんなのための食事の準備、、、
とても無理だった。
本当に嫌だった。
外食なんてほとんどしなかった我が家に
外食が増えた。
虚しい。
「食事が体を作る。」
「体は水。」
次女の病気を通して感じたこと。
私の作る食事が
私のこの手が、
みんなを病にしたような気持ちがして
本当にしんどかった。
そんなしんどさを素直に感じながら、
感じてはご飯が作れず、
でも意味のないものを
私は自分を攻撃する様に食べて、
あれから体重は15キロ位増えた。
家族は相変わらず
ただ優しく、
見守られながら
私は少しずつ自分を癒した。
どうしても自分を責めたい自分
全部自分のせいにして
周りを守ろうとする自分がいるなぁ〜😇
あんなに健気に頑張ったのに。
(自分で言う✨)
子ども病気になったり、
父が亡くなって
しんどいのに、
それでもまだ私は、
そんな中でも自分を責める‼️
すごいなぁ〜(´⊙ω⊙`)
って気が付く。
ずっとこんな風に生きてきた。
ずっとずっと、
自分を責めていたよ
ごめんなさい😭
って、何度も何度も、
自分と向き合った。
そうして
私が少しずつ癒されて、
私の中に入っていた父が
私の中から外へ出て行けるようになってきたような感じがしてきた今年、
父と仕事してた思い出から
手放せなかった
業務用コピー機(を普通の建売の戸建てに置いてた💦)や、
ネズミ色の事務用デスクが、
急に今の家には不釣り合いだと、
不要だと気が付けた(・・;)
そうして一気に色々手放せた。
そんな頃、
父とみんなで食事を楽しむためにと
父の病気がわかって直ぐに買った
大皿が割れた。
割れてしまって、
びっくりして私は泣き出した。
旦那さんはびっくりしてた。
ここまでかぁ〜。
いい感じで気付きが進むと、
景色が変わって見えて、
握りしめていた現実が違って見えたり、
自分ではできない部分は
勝手に良い風に
壊れたり変化したりするんだなぁ〜。
って改めて思った。
お皿が割れて、
「もっと前進して良いんだよ」
って、
どこかから言われたような気がした。
父から整理を任された会社。
「作るよりたたむのはもっと大変」
って聞いていた意味も、
作るのはドキドキワクワク💓
たたむのは、
「大変」の意味はどんな意味で言われているか知らないけれど、
父がどんな思いで会社を作り、
どんな風に働き、守って来たか
私はよく
よーく知っている。
その会社を
私の手で、終わらせること。
あー、しんどい。
あー、しんどい。
あー、しんどい‼️
ずっと向き合ってきたこの気持ち。
お皿が割れたことで、
私はもっと進む心ができた。
介護の大変さも知った。
育児の大変さと、全然違う‼️
会社を作ることと
たたんでいくこと
に少し似ている。
介護を通して色々学び、
沢山の素敵な方々とも出会った。
人生に無駄なこととか、
遠回りとかないなぁ〜。
全部、ありがたいことなんだなぁ😭✨
父から受け継いだ命の光を
私はもっと大きな光にしよう✨
自分を責めることでは決して光らないから、
自分を癒しながら
認めながら、
楽しく愉快に、
大きな大きな光にするんだ✨
お父さん
ありがとう❣️
御先祖様みなさん
ありがとう✨
ありがとうございます❣️✨
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