父のこと 看取り その1
父は3年前の7月
私にしてみれば急に亡くなった。
亡くなった年の2月
血痰が出たのを気にして、
慌てて病院へ検査へ行った。
父の父が
血痰を出したのをきっかけに
癌が見つかって
それと同じ血痰が出たことで
父は心配になったようだった。
父はとっても元気だったので
「心配し過ぎだよ〜♫」
くらいに私は思っていたのに、
病院から連絡あり、
「家族も一緒に結果聞けって。
お前も来い。」
っと父。
「え、やめてよ。
なんかやだなぁ〜。」
っと私。
病院の先生は淡々と
画像を見ながら
父の病状の説明をしてくれた。
夢を見ているようだった。
父は元気だ。
この先生は一体、
誰のなんのことを言っているんだろう?
父はその時点で既に
「肺癌のステージ4。
全身に癌が転移していて、大変な状況です。
直ちに入院して、抗がん剤治療することをおすすめします。」
とのこと。
余命について聞いても
回答はなかった。
今思えば、
もういつ亡くなっても
不思議ではないんです。
っという病態だったんだなぁって思う。
ドラマとか映画とかじゃない。
私の父に起きていること❗️
私‼️
目を覚ませ‼️
父は、
言った。
「末期癌ってことだろ?
本当かなぁ?
まだあちこち旅行とか行きたかったなぁ〜。
岐阜の白川郷とか.....。」
って。
「じゃあ行こう❗️絶対行こう♫
治療頑張りながら、いっぱい楽しもう❣️」
って私は言った。
歯を食いしばりながら
現実と向き合う日々。
受け入れつつ
受け入れられない。
受け入れたくない。
でも、父の病気は現実だった。
そうか、よし❣️
次女の病気を通して得た色々な知識使って
父の病気と上手に付き合い
克服して行くぞ❣️
きっと大丈夫✨
私は信じて、
本当に信じて、
ただ進んだ。
あっと言う間に白川郷の旅行の予約を取り、
病気に良いとされるものを取り寄せたり
治療に行った。
何よりも私がまずしたことは、
食器を買った。
これから父と重ねて行く食事の時間を
これまでよりも益々大切に
大切にしていきたいと思えて
みんなと1日も多く
楽しく食事ができることを願って、
お気に入りの
食器のセットを見付けて買った✨
そして3月、
父の行きたがっていた白川郷へも
元気なまま旅行に行けた。
本当に楽しかった。
しかし
旅行が終えた頃から急に体調を崩した。
ものすごいスピードで、
病気を克服するために私が学んで行くスピードは
病気のそれに全く追いつかない😭
「待って❗️待って❗️
本当に。お願いだから❗️」
そんな気持ちでいっぱいだった。
恐ろしい
信じ難い時間だった。
父は
「体に管なんか付いてる姿を人に見られたくない❗️病気を親戚にも言うな❗️治ったら言うんだ❗️」
と言う。
お医者さんは
「早く親戚や会わせたい人を呼んで下さい❗️
今日でも明日でも、もういつどうなってもおかしくない状況です。」
と言う。
飲食も禁止。
それは4月のこと。
たった最近の3月、
あんなに元気に旅行していたのに。
去年の夏も、
すごく元気に大きな仕事を
早朝から夜遅くまで一緒にしていたのに。
何が起こっているんだろう?
そんな状況でも
まだそんな気持ちだった。
「とりあえず、息が苦しいんだよ❗️
これだけなんとかしてくれたら良いんだよ❗️
なんとかしてくれよ❗️」
父は言った。
気道を腫瘍が塞いでいて、
呼吸がどんどん苦しくなっていることを
父はそんなこととは分からずに私に言う。
お医者さんは
それがどうにもできないから、
それが原因で今日か明日、、、
と言う。
板挟みだった。
そして父は
「あのお店の
シュークリームが食べたいなぁ✨」
とも言った。
父は何度も言うが飲食禁止だった。
食べたいのに、
飲みたいのに、
飲みたくて苦しいのに、
禁止だった。
禁止のまま
食べたいのに食べれず
飲みたいのに飲めないで
もし本当に死んじゃうなら、
食べて飲んで死んだ方が良くないか❓
会いたい人にも会って、
励まされて、
元気になったら良くないか❓
そんないつもの私節が顔を出す。
全部が私の一存に託されていた。
父のために良さそうなこと、
やれることはなんでもやっていた。
"よし、父の兄妹、呼ぼう❣️
よし、シュークリーム、食べよう💕"
こうして父は
大好きなシュークリームを
「美味い✨美味い❣️」
と食べた😊
兄妹が直ぐにお見舞いに駆け付けてくれた。
会うと、張り詰めていたものが
緩んだ感じの父がいた。
父の側にいてあげたい頃だった。
でも私は諦め切れず、
父の治療に良い先生を見付けて、
都内の病院へ
父の病院を飛び出して
その先生に会いに行った。
結局、
偶然にもその先生が薦める
父の治療に精通する先生が
自宅から近い病院に居て
紹介されることでその病院へ
転院出来ることになった。
父はその転院の日を励みに頑張り、
遂にその病院へ転院することができた。
転院後、
父は病態を回復させ、
またもう一度、
昔行った時
すごく良かった奥多摩の宿に泊まりたいと
夢を膨らませた。
早速ここも予約を取った。
酸素ボンベや万が一のことを想定し
手配しつつ、
無事に旅行の日を迎えた。
父はこの旅行を本当に楽しみにして、
部屋に来る人、
お医者さんにも看護師さんにもみんなに嬉しそうに話していた。
父は大好きな孫たちと
その宿に泊まりたいとの夢を叶えて
満足してしまったのか
その旅行から1週間後、
その孫たちに囲まれて亡くなった。
6人の孫たちは
目を覚ましてはくれず、
心拍がどんどんゆっくりになる
父の眠っている
病院のベッドを囲んで
1人1人、大きくなったらやりたいこと、
夢を父に話した。
みんなで歌を歌った。
みんな思い思い、
思い出を話した。
大好きなおじいちゃんの冷たくなる体を
ずっとずっと
マッサージをした。
色々な願い虚しく
父は逝った。
でも、父にとってはきっと
こんなに孫たちに愛されて
囲まれて逝けて
幸せだったかなぁ。
つづく。
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